凜音霊能者の言葉

霊能者デビューまでの道のり

絆(きずな)霊能者

私が初めて霊能力を発揮したのは、5才の時でした。叔母のお腹に赤ちゃんが宿ったことを叔母本人より先に気付き、しかもそれが双子の男の子であることも見抜いたのです。両親を始め、親戚一同大変驚きましたが、最初は「勘の鋭い子」としてだけ扱われたのです。しかし、それから間もなく、今度は祖父の死を予言した私。同居していた祖父と遊んでいる時に、目の前でニコニコしている祖父の笑顔の横に苦悶に満ちた祖父の表情が並んでいるのが見えたのです。

そして、そのままカッと目を見開いたまま祖父の表情は止まりました。私は慌てて両親に「おじいちゃんが苦しんだ後、死んじゃうよ」と訴えたのです。両親は本気にしなかったのですが、その晩祖父は寝ている間に心筋梗塞を起こして亡くなりました。

今度ばかりは両親も「この子には特別な力が備わっている」と認めなければなりませんでした。でも、霊能力などとは無縁に生きてきた両親は戸惑い、私の霊能力を封じ込めようとしたのです。そこには娘を普通の子として育て、平凡な人生を歩ませたいという両親の願いがあったのだと思います。

しかし、両親の願いとは逆に私の霊能力はどんどん高まっていったのです。小学校に入学すると、先生の質問が先にわかってしまうため、先生がまだ何も言わないうちから手を挙げてしまったり、翌日休む子がわかったり。学校でも私の霊能力は評判になりました。小学生のうちはそのせいで仲間はずれにされたこともあります。ところが、中学生になると、恋や進路の相談を受けるようになり、それが百発百中だと評判になったのです。

この当時は特に当てようと意識しなくても、目を閉じて頭の中から雑念を追い払うようにするだけで、自然と答えが脳裏に浮かんでくるといった感じでした。私の霊視した内容が相談者の望まないものであることもたくさんありました。それを率直に告げると、相談者は顔を曇らせたり、中には泣き出してしまう人もいました。

そんな相談者の様子を見たくないと思った私は、単に的中率を維持するだけでなく、願いを叶えるために最適な助言をしたい、また、霊能力の本で読んだ波動修正や縁結び、祈祷などの特別な占術を身につけたいと思うようになりました。

そのためにはこのままでは霊能者として未熟だと思い、「この先生みたいになりたい!」と思う霊能者を見つけたのです。そしてその先生に何度も鑑定をお願いし、霊的なパワーを送っていただきました。

それから、約1年。知人に協力してもらい、電話で鑑定をしてみたところ、私は驚きました。1年前とは全くちがい、映像が脳裏で視覚化し、何者かの声も聴こえました。プライベートをほとんど知らない知人の過去、現在、未来がくっきりと視えるのです。彼女が復活愛を望んでいることも。

そして、知人の願いがこのままでは叶わないと気付き、いつしか事細かに復活愛が叶う助言をしていました。さらに、それを強めるためにと、誰からも教えてもらっていない縁結びを行っていたのです。

そして2週間後、知人からうれしい報告の電話があったのです。「○○さんのおかげで彼と復縁できました!」と…。

それを機に、私の評判は口コミで広がり、電話で延べ1000人もの方を鑑定してきました。そして、運命に引かれるように電話占い凛音を知り、厳しい審査の上、合格したのです。今でも初心を忘れず、ご相談者様に霊的なパワーを送って、一緒に泣き、笑い、幸せを目指す霊能者でありたいと思っています。